この「摂田屋」は摂田屋の散策絵図が包装紙として使われています。
この包装紙を広げると、摂田屋周辺の観光地図になります。
そもそも摂田屋周辺には酒・味噌・醤油といった醸造業が集まっていることで知られています。
JR宮内駅前を南北に走る旧国道を南に約7分も歩くと機那サフラン酒本舗があり、その向かいに日本酒の蔵元吉乃川、もう少し進むと手作り味噌の星六があります。戻って吉乃川を真ん中から割ってのびる三国街道の北東に越のむらさき、その左側の道を東南に約4分歩くと左に光福寺、その先右に星野本店と長谷川酒造が肩を並べています。
吉乃川が若松屋として看板をかかげるのは1548年のことですが、それは上杉謙信が春日山上へ入城した年です。
やがて米どころ越後は酒の産地として全国に知られ、盛時には摂田屋だけで5軒も酒蔵が存在し、長岡藩における需要の7割を製造していたそうです。
この旧三国街道走る摂田屋は江戸時代には天領に組み込まれていたため、この地区を通るときは殿様ですら籠をおり歩いたと伝えられていて、参勤交代の要路として殿様街道の別名を持っています。
摂田屋の地名は、要路の分岐点として中世の頃に存在した「接待屋」と呼ばれる僧や山伏の無料休憩所に由来します。
→包装紙を広げるとこんなになります。
お酒を楽しみながら醸造の町・摂田屋に思いをはせてみてはいかがでしょうか。
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